無修正な考現学を考える

  • 2010/02/17(水) 11:23:18

無修正な原始時代は良かった。人間の存在自体が魅力でありファッションだった。狩猟生活から農耕生活へと移行して集団生活が始まると、かつての最小生活単位であった家族から集落という集合が生まれる。それは社会形成の黎明期であるとも言える。そのころから小さくはあるけれども世論が形成されたと考えられる。流行は個人の価値観とは違う基準で成長する。これは個性を埋没させる危険性もあるが、逆に到底一人では到達できなかった発見を必然的にもたらしてくれる場合もある。

無修正モノなら・・・←



気分は無修正、五輪はバンクーバー

  • 2010/02/16(火) 11:26:12

気分は無修正、五輪はバンクーバーですか?冬季オリンピックが始まりましたね。日本勢はやや苦戦を強いられている様子ですが、モチベーションは欧米人のように楽しんでいる感じが見受けられます。

120%の練習をつんで、本番で99%まで実力を発揮することが真のアスリートといわれています。残りの1%はというと・・・、やはりその瞬間を楽しむことらしい。そこから自然とリラックスしてミスが激減し本来のイメージに近い記録に迫れるとのこと。男女を問わず選手たちの笑顔は多くの人にパワーを分け与えてくれているんじゃないでしょうか。



中でしていいよ←



無修正、そんな思いでの断片

  • 2010/02/15(月) 14:44:48

無修正、そんな思いでの断片がさしあたりない程度に積み重なっていく。一枚の小さな写真が、引き出しにたまっていくようなものかもしれない。悲しいのにいやではない。

楽しいとは言えないかも知れないけど、もしそれがなかったとしたらとても寂しいんじゃないかなと思う。覚えていなきゃいけないってわけじゃないから絶対ってことはない。ふとしたときに気持ちにとまればいい。


中でしていいよ←



無修正な未来に

  • 2010/02/12(金) 15:22:25

人間が無修正な未来を憂いだとき一番心配することはまずこのことだろう。権力の腐敗と横行、個人の判断は法の下にかすんで消えてゆく。でもそんな世界観になぜか憧れてしまう。そこが某監督の人間性の表れなんだと思う。全ては夢なんだろうか。夢であってほしい反面、現実化すれば楽なのかもしれない・・・そんな風に感じられるのはアンアナーキズムが実は無政府主義と表裏をなしている表れだと思う。ずばり無修正!言うことはいえる社会であってほしいと思う。

それでもって下半身はいつでも自由さ!



これぞ無修正なコントのハシリ

  • 2010/02/11(木) 11:32:40

イギリスで1960年代TVで無修正なコントの原型を作った番組がある。このディレクターは以降シニカルな映画作品をコンスタントに世に送り出し、1980年代にはアメリカ・ハリウッドの複合企業集団が作り出す商業映画に向こうを張って大健闘する。1990年代にカテゴライスされる「カルト・ムービー」の雰囲気を作った首謀者ともいえるだろう。そのころに作られた名作「M来世紀ブラジル」はいまだ多くのファンに鑑賞され続けている。SFなのになんとなく過去っぽくて、皮肉たっぷりの未来が広がっている。超管理社会は超適当、けどいったんミスすると人権などどこ吹く風で徹底した制裁が待っている。


笑いを通り越して生ツバもの
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無修正な観点

  • 2010/02/10(水) 16:40:49

無修正の観点から言えば、科学・思想・芸術・発明・学問においてそれは全くの別物と考えてよい。「勝つ」ことより「発見」や「達成」が重要だからである。それが公共の利益となるまでは己のモノサシのみを頼りに掘り進めなければならない地味な作業なのである。

間違えて困るのはこれをなしうる個人とは「競うこと」の苦しみに匹敵するほどの孤独や自律謙虚がなしえるものに限るということである。競うことで薄れていくものがある。オリジナリティの存在がそれに当たる。汎用性を重視すればそれは無用である。しかしここに矛盾があるとすれば独創性こそが文化を高めてきた。


宇宙の神秘を下半身で語る


無修正なテクノミュージックの続き

  • 2010/02/10(水) 13:01:36

18世紀産業革命期において無修正な蒸気機関を用いた音楽ではないインダストリアル・ミニマルサウンドに出会う、ロシアにてテルミンの発明、1950年代電気抵抗を用いた電気オルガンの登場以降テクノというカテゴリーが産声を上げる。

今日ではデジタルゲーム・大衆音楽から携帯電話のコール音・交通信号や鉄道の案内音声など公共の多くをこれに頼るようになった。2000年ころに確立されたビッグ・ビートと古典音楽の共通性は?などと考えるのは無粋であろうか・・・。今もまだこれらの進化は継続されている。


キミの感性が炸裂!←クリック



無修正チックな

  • 2010/02/09(火) 16:13:36

無修正チックな2000年が過ぎ2010年、テクノミュージックは無意識のうちに私たちの生活の多くを占めるようになった。人類がどこでこのシーンに初めてであったかという定義は難しい。波の音や反復される鳥の鳴き声が原始時代の最初かもしれない。

そして人間が自ら音を発する打楽器のヘビーローテーション。パイプオルガンの発明は音をコンパクトかつ確実に発生させる始めての試みだったと思う。鍵盤楽器の進化、オルゴールが発明された意味は自然に頼らず、自らのリアルタイム演奏を省略させるオートマティスムを現実化させるに至る。


ドバッと出しちゃいなさいよ〜




無修正に歳をとるということ

  • 2010/02/09(火) 13:01:55

無修正に歳をとるということは悲しみが増えるということだ・・・、フランスの詩人の言葉だったような気がする。SピッツのKみが思いでになる前にという曲を聴きながらそんなことを思い出した。

その悲しみの瞬間が続き、蓄積していったなら人は生きていけないだろう。だから忘却する。だけど全てを忘れてしまうわけではない。耐えられる程度に忘れる、都合がいいといったらそうなんだけど、その程度には覚えているようだ。それが多分思い出になるってことなんだと思う。


下半身で宇宙の根源がわかってしまう〜



無修正なリミックス・カルチャー

  • 2010/02/08(月) 16:25:29

無修正なリミックス・カルチャーからしか到達することのない遺伝子である。真の創造などあり得ないことはある程度それを強く意識すれば分かる。

しかしそれに対して可能な限りのあらゆる手段を用いて到達しようと考え・行動し・努力する者はすでに創造者の姿である。「答えが無いかも知れないものに対して、一生を棒に振るかもしれない覚悟」、これを受け入れるか否かがどうも瀬戸際のようである。


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無修正は発見の父である

  • 2010/02/08(月) 13:00:20

無修正は発見の父である。まずは一歩を踏み出そう。もっと具体的な行動をとることで、実現することもある。あまりにも途中で投げ出したことがおおいから、勇気さえ起こらなくなってしまったかもしれない。けれども行動を起こすべきだ。どんなにくじけても辿りつきたい場所があるはず。チャレンジするチャンスはいくらだって作り出せる。

究極のアミューズメントがここにある



無修正なファッションでいこう

  • 2010/02/04(木) 16:21:50

無修正にもなりつつある先進国のファッションは進んでいるかもしれないけど、ブランド品や雑誌やメディアの扇動で一極化がすすんでいるようです。それは個性というよりはみんなと同じレベルに達しておくという一種の焦燥感からくるものなのかも知れません。

一方でコスプレなどでアウトサイドを行くマイノリティ派も存在しますが、それでもそこには色々と様式美があるようで中々個人のセンスのみで町を歩くというようにはいかない様子。

かえって開発途上国のティーンエイジャーは最新のファッションにあこがれてはいても、物流的・経済的にそれを真っ向から取り入れることはせず、オリジナルでいくケースが多いようです。

そんなところにデザイナーが憧れて新たなムーブメントが起きる。無修正なものをまず見て置くならこのあたりがベストだと思うんですけど・・・


ぴくぴくしてる〜←



無修正なアーカイヴスの管理に

  • 2010/02/04(木) 13:04:03

無修正にデジタルデータが増えてゆく。ハードディスクの中にWAVEとmp3形式で保存したまま今日までたってしまった。

ふと聴きたくなる音楽はやはりこのあたりのとがった回顧的なものが多いように思う。ここからやり直せるだろうか?めちゃくちゃにパワーを発散しながら自己実現に向かうスタンスを忘れかけている。

じっとしていても全ては通り過ぎて行ってしまうだろう。ずっとミレニアムな気持ちで生きて行けたら素敵だ。居場所を変える方法もあるのかも知れない。しかし現状を少し変更するだけでもいけるのかも知れない。

発展的継続でしか手に入らないものもある。物的世界でものを作り上げるには技術的蓄積は少なからず必要だからである。割りに、いいものが出来上がればいい。完璧などは求めていない。

許容範囲内でどれだけいけるかが重要になる。写真を撮っていた。買い集めたものではなく、無著作物の採集からモノが作りだせる喜びを知っている。


ぴくぴくしてる〜←



個人的に無修正

  • 2010/02/04(木) 09:05:43

絵画にはまっていた。圧倒的な密林、空を覆う架空の樹木が日々自分の頭の中を埋め尽くしていた。近くの植物園に通い、嗅覚による刺激を受け続けていた。紛れもない無修正な楽園がそこにあった。延々と続く等身大の劇場が広がる。個性は根絶やしにされた感じだった。そこで何かが終わった。もう戻れないと痛感していた。

明らかにあの時終わった。同化すれば模倣となるだけで、幻想とはけして手に入らないものであると知った。高校時代群像を描いた事がある。一体が140cmくらいに相当する人物(行ったこともないモロッコの市場をイメージしたのだと思う)の数々を描きこんだ壁画である。アナログの時代は遠くなり、インターネットが世界を結ぶ。


時代のエンターティメントがここにある




無修正な虹を超えてゆこう

  • 2010/02/03(水) 10:42:04

無修正な青春は何度でも訪れると初老の男たちは言う。同じ気持ちである。伊藤若冲や葛飾北斎は長寿であったらしい。曽我等伯は享年55歳、当時としてはやや長い方であろう。自分は肉体的にいつまで描けるだろう。メンタルで描けないないなら逆に諦めがつく。

しかし創意を宿したまま、朽ち果てるのだけは苦しい。音楽がだめだった分、貫く力を自分に示したいのだ。自分が作り上げたものを自分が見たい。そこに初期衝動がある。嘘のない心が欲しい。自分にとってはどちらも大切。とにかく見てほしい・・・。


無修正・オーバー・ザ・レインボー!




牛と虎のことで無修正

  • 2010/02/02(火) 17:38:18

究極のアミューズメントがここにある!





めんどくさい・・・、

この無修正な想いが

全てを消極的にしてしまうことがある。

面倒とはどこから来るのだろうか?

多分自由にならないという負担がそうしている。

最上級の自由とはいろいろな物事が

頭の中で描いたように進行することだと思う。

そんなことはまずない。

中間ステージとして、

自分が試行錯誤できるということ

そしてそのための時間やチャンスを邪魔されないこと。

これは前者の中に含まれるものだがこれだけはほしいところだ。

結果は自分の経験となる、

そのためのチャンスに恵まれない場合だって多いかもしれない。

時代や習慣によって制限される。

しかし自由であるということは本来このことをさしているのかも知れない。

人間偉くなると動かなくなる。

手を汚したくなくなるものだ。

しかし経験はそういったものからしか得る事はできない。

他人の褌ですもうをとったところで

次回その経験が生かされることはあまりない。

さあどうする!?

話は変わる、去年は牛年、今年は寅年、

牛の確実な歩み(牛歩)と虎の眼光(虎視眈々)が

必要な時代ではないかと思う。スタンスや方法論は多種多様である。

これを否定されるとき、否定論(者)に対して、

あぁ、めんどくさいな〜と思うことは

しょっちゅうではないだろうか。

止まって見えるのはただいま定点撮影中、

虎の目はあなたを睨んでいますから!

ゆとり教育と無修正

  • 2010/02/01(月) 13:35:28

今年成人式を迎えた世代はおおむね平成元年生まれ、私などからするとそれって最近じゃない!などと思ったりします(ちょっと大げさ)。彼らは十代後半を2000年代で過ごした世代。義務教育はいわゆる「ゆとり教育」で成長した世代です。この方針にも一長一短はあるものの、全体的な印象では堅実でこころのやさしい世代であるように思えます。

受験一辺倒切捨て競争主義の中で育った私の世代からみれば、彼らはある意味よい教育を受けたと思います。競争力は各自でつけていく。無修正なまでの比較をされるよりはすみやすい社会が出来上がるように思えます。無修正は各個人の中に宿す本能のようなもの。これが知りたければこの門を叩くがいい。まだ見ぬ世界が広がっている。


究極のアミューズメントがここにある



ポップでキュートな80’Sってどんな感じ!?

  • 2009/11/14(土) 11:34:46

最高のエンターティメントがここにある!





ズバリ!ポップでキュートというカンジは桃色と水色でできているとおもう(多分)。無修正なポリエステルカラーの原色を補うものとしてプリンプリンなパステルカラーがふんだんに使われてスペシャルミルクケーキなパッションを漂わせているものだと思う。タイムマシーンがあったなら25年前に行ってみたい。きっと物凄い衝撃を受けるに違いない。

世の中は無修正なことばかりだな!!

  • 2009/11/10(火) 13:27:06

究極のアミューズメントがここにある!





ふと気がつけば2009年(ってお前は冷凍睡眠してたのかって!)。世紀末もはるか昔になりました。昨日はベルリンの壁崩壊から20年。うお〜覚えていますよ!無修正に時代が動くときってあまり実感がないのだけど、数年後数十年後はあっ!!あのときだったのかなんてよく思ったりするものです。

そんな事柄をふとした時に書き綴っておきたいというのがこのブログの趣旨。とはいえそんなに劇的なことなんてめったにないのかな〜。ということで私も星の数ほど存在するブロガーの末席に加えてもらうということでいざアップ。次回はあるのか!?ぜったいあるって!!